Quantcast
Channel: ~今 私にできること~
Viewing all articles
Browse latest Browse all 10

2008年7月1日スーパーモーニング放送内容

$
0
0

数々の事件で延期になっていたスーパーモーニング『化学物質過敏症』特集がやっと放送されました。


いつ放送されるのかが明確でなかったので、見逃してしまった人も多いようなので内容を紹介させていただきたいと思います。


今回の放送で初めて化学物質過敏症という病を知った人にとれば、とても衝撃の大きな内容になっていると思います。


でも、目をそらさずに真実を知って欲しいと思える内容でした。


放送を見ていた患者がそれぞれ自分のことのように感じて、この病気の本当に辛い部分や伝えきれない想いを代弁してもらえたことに感謝の気持ちでいっぱいで、涙なしでは見られない状態でした。


長い文になりますが、できるだけ多くの人に知ってもらって、何かに気が付いてもらえたらと願っています(^人^)


これが私たちの現実です。


CSを発症してしまい不安を抱いている人へ。。。早期診断、早期対処によって悪化をとめたり改善されるヒントはたくさんあります。どうぞ悲観せずに、前に進むことを考えてください。仲間はたくさんいますから。。。


※誤字脱字・聞き取れていない箇所があるかも知れません。
※主観を入れずに内容を伝えたいと思って文字にしてみました。
山内さんは堪えきれずに泣きながらインタビューを受けて下さいました。
入江さんの症状の写真もとても直視できないほど痛々しいです。
実際のご本人の表情などがないので、真意を伝えきれていません。


~壮絶妻の自殺幇助で有罪に・・・元夫激白『悪魔の病気』との闘い~

山内さん「私の最後を看取ってくれてありがとう。“さよなら”って言って飛び降りました。。。」

智子さん(ナレーション):「生きていても苦しい。死んで楽になりたい。」

ナレーション:夫婦の人生を狂わせたものは恐るべき病だった。妻は苦痛から逃れるために死なせてと自殺の手伝いを夫に哀願。そして・・・。
妻の自殺を手伝ったとして有罪判決を受けた元夫が地獄のような闘病の日々を告白。

山内さん「この病気がなかったら我が家はこんな目には遭わなかった。病気が悪魔のように思えました・・・。」

― 一部中略(後で同内容が流れます) ―
ナ:2005年4月25日

Q.これは血痕なんですか?
マンション住民「そうです。掃除のおばさんが一生懸命やられてもですね、取れません。」

ナ:名古屋市のあるマンションから病気を苦に女性が飛び降り自殺をした。その時、女性の夫は自殺を手伝ったとして逮捕された。夫の名は山内政治。(山内さんの紹介)夫婦は長年、恐ろしい病と闘ってきた。そして、妻智子さんは死ぬことでこの病魔から逃れる方法を選んだ。彼女は山内さんに自殺の手伝いを哀願。
4月21日(水) 自殺の付き添いをせがまれる
4月22日(木) 「死ぬのにいい場所がある」と告げられる
4月23日(金) 近くのマンションに2人で行くが帰宅
死にたいという智子さんを山内さんは何度も思いとどまらせた。しかし、この日も

智子さん(ナ):「今晩死ぬ。苦しいから連れて行ってよ。」
ナ:深夜、智子さんを自転車に乗せ 近くのマンションに向かった山内さんは エレベーターで11Fまで智子さんを運んだ。
智子さん(ナ):「私をおんぶして、お願い。最後のお願いだから。 この壁にすわらせて・・・」
妻の最後のお願いという言葉に踊り場の壁に腰掛けさせた山内さん、そして。。。

マンション住民「ドスンという音がしまして“なんだろうな?”ということで5分くらい経ってからピーポーピーポというかたちで救急車が来た。」
ナ:山内さんはその場で警察に電話をかけ、駆けつけた警察官に自殺幇助の疑いで逮捕された。

~初公判から~

山内さん(ナ):「絶対に妻を落としてはいけないと思い、妻の両足を支えたが妻がエビ反りになり持ちこたえることが出来ず落ちていった。」
ナ:初公判で泣きながら当時の様子を語った山内さん。結果は執行猶予付きの有罪判決だった。

~初公判2004年6月名古屋地裁 懲役2年2ヶ月 執行猶予3年の有罪判決~

ナ:教職を失った山内さん、執行猶予があけたいま、智子さんが飛び降りた瞬間の様子を私たちに語ってくれた。
山内さん「私に迷惑をかけたことを非常にわびていましたね。長い間迷惑をかけてごめんねって、最後の言葉でしたけど・・・」

~1994年2月結婚~

ナ:山内さんが塾の講師をやっているときの教え子だった智子さん、結婚した当初からすでに智子さんの体は微量な化学物質にも反応し苦しがっていたという。彼女を苦しめていた病気とは。。。

『化学物質過敏症』

私たちは呼吸や飲食をすることで現代社会に溢れているさまざまな化学物質を知らず知らずのうちに体内に摂り込んでいる。しかし、この量が体の適応能力を超えるとさまざまな症状が発生する。その症状は個人差も大きく、治療どころか診断できる医師すら少ないという。

~頭痛・めまい・吐き気・アレルギー 症状には個人差がある。~

山内さん「嗅覚に関しては犬や仙人に匹敵するような嗅覚でしたから。」

ナ:智子さんは化学物質の臭いに怯え、家からほとんど出なかったという。

山内さん「合成洗剤・柔軟材とかですね。その臭いが耐えられなかったみたいですね。行きましたですよ。恐れ入りますが合成化学洗剤じゃなくて無添加の洗剤を使っていただけますかって」

Q.近所に?
山内さん「近所に 隣の人に」

Q.「近所の人はどうしました?
山内さん「公団に訴えました。(私が)訴えられました。」

Q.普通、理解されないですよね?
山内さん「理解されないですよ。住む場所がないですよ、本当に・・・」

ナ:山内夫婦は行き場を求めて5回引越しをした。
当時、智子さんから相談を受けていた元患者の女性が語る。

相談した女性「治るかしらって。色んなものに反応してね、苦しくって仕方がない。夜も眠れない。」

ナ:智子さんが送ったFAXにはその当時の辛い状況が書かれていた。

FAX:あまりの激痛に鎮痛剤を飲んでしまいました。朝の4時まで苦しくて眠れません。

ナ:見えない化学物質が容赦なく智子さんの体を蝕んでいく。献身的な夫の介護。しかし引越しを繰り返したことで山内さんの職場はどんどん遠くなり、通勤時間は往復6時間になってしまった。さらに洗剤が使えない智子さんに代わり、手洗いの洗濯と皿洗いを毎日深夜まで。睡眠時間はほとんどなく、山内さん自身(も『うつ病』と診断される)病院に通うことになったという。

Q.いつかは病気が治る?
山内さん「それは期待していました。他の患者さんの家庭の方もね、私と同じことを思っているんじゃないのかと思うんです。それほど・・・あの。患者さんが悪いんじゃないんです。病気が悪いんです。」

ナ:しかし、治したい一心で化学物質を避けようとすると食材は有機野菜、衣服は天然素材といった高価なものになり、月々の支出は80万円に膨れ上がった。憔悴した夫、悪化する病状、圧迫される家庭。

Q.あの事件がなければ あの生活を続けていられましたか?
山内さん「いや、それはなかったと思いますね。どっちかが死ぬか、または両方死ぬか、それしかなかったと思います。」

ナ:患者の生きる気力さえ奪い取る恐ろしいの病。何人もの化学物質過敏症の患者を診察してきた医師(青山医院 青山美子医師)に話を聞いた。
青山医師「一番は社会に受け入れられない。本人が怠惰だとかね、気のせいだとかね。アンケートをとったときに“一度でも死にたいと思ったことがあるか。”“一家心中したいと思ったことがあるか。”100%YESですよ。今月(5月)3日にもうちは患者1人自殺されております。」

ナ:我々は化学物質過敏症の一人の患者を取材した。

~恐怖の化学物質過敏症 重症患者の生活とは~

Q.大丈夫ですか?
「(街を歩きながらよろけながら)しんどい。」

ナ:この日、街に買い物に出た入江信一郎さん41歳。コートやマスクで化学物質を防いでいたが、体調が悪くなってしまった。
入江さんの場合、長時間化学物質に体がさらされると皮膚がただれ、痛みで3日3晩眠れない日が続くこともあるという。
入江さん「排気ガスは苦しいし・・・合成洗剤だとか。タバコを吸っていた人が側を通ると顔が焼ける感じになって・・・」

ナ:この病気を発症する前の入江さんはカラテの地区大会で優勝するほどの猛者。趣味は山登り、決して体が弱い訳ではない。入江さんの日常生活とはどんなものなのか。私たちは自宅に向かった。山の裾野にある入江さんの住まい。

入江さん「(スタッフへ)着替えをしていただきますか。」

ナ:入江さんは外出時に着ていた衣服はすべて水洗いし、化学物質をいっさい部屋に持ち込まないようにしている。

スタッフ:何もないですね。引っ越して間もない家って感じですよね。

ナ:化学物質を避けるためにあえて部屋には何も置かないという入江さん。そして何やら組み立て始めた。

ス:まさか家の中でテント・・・
入江さん「家の中でもテントさえ張ればなんとか・・・。」

ナ:テントの中に空気清浄機を入れ、綺麗な空間を作っている化学物質過敏症の患者、入江さん。

ス:(テントが)自分の避難場所みたいな。。。

入江さん「そうですね。」

ナ:大学院を卒業し、経営学者の道を歩み始めたころ化学物質過敏症を発症した入江さん。しかし医師からは明確な診断はなされなかったという。

入江さん「病院には何軒か行きましたけど、皮膚の状態はアトピーだと。でステロイドで抑えましょうと・・・。
体の中まで苦しいのは何ですか?と。それは分からないね、気にしすぎじゃないのと。」

Q.医師は化学物質過敏症という言葉を使いましたか?

入江さん「いや、ご存じないですね。アレルギー体質かも知れないねと言われたら否定はできないですよ、こっちもね。」

ナ:入江さんは仕事を一時休職し、テントをトラックに積んで化学物質から逃れる生活を始めた。医師も診断できない病気を自分自身で治すことに決めたのだ。入江さんの山の中での生活は数年続いた。今の居場所を見つけるまで繰り返した引越しは10回。苦労は住まいだけではなく、食事にも神経を使う。もっとも重要な水は山奥まで往復2時間かけて汲みにいく。水道水に含まれている塩素で皮膚が炎症を起こしてしまうのを防ぐためだ。
他の多くの患者と同じように入江さんもかつて死を考えたという。

入江さん「治らなそうだし、周りの理解もなかなか得られないし、追い詰められちゃって、死ねたら楽だなと思いますよね。」

ナ:しかし、入江さんはこう訴える。

入江さん「不治の病だと言われているけど、かなり回復した人間はとりあえず1人はいますよと。あきらめて早まったことはしないで下さいねと・・・。」

ナ:この病気に詳しい医師は警鐘を鳴らす。

青山医師「(患者は)激増します。増える一方です。自殺者も増える一方ですよ。」

Q.それはなぜですか?
青山医師「化学物質をあまりにも無防備に、特に、この日本では使い過ぎですよ。有機リンの空中散布というのは群馬県はゼロになりましたけど、他の県でも止めていただきたい。」

Q.誰でも発症する可能性はあるのですよね?
青山医師「もちろんそうです。誰でも。明日は我が身ですよ。」

~山内政治さん~

山内さん「がんとか白血病だったら(周りに)かわいそうだと言われるでしょう。化学物質過敏症はね、言われないんですよ。で、自殺するんですよ。周りの人は自殺してよかったなと思うんですよ。死んだ後も、あの人がいなくなって良かったと。そんな病気なんです。」

ナ:智子さんの死を無駄にしたくないという山内さん。いまインターネットで患者へのアドバイスをしている。

山内さん「他の化学物質過敏症のみなさんのために。ためにというか、少しでも力になってあげて。。。みたいなことぐらいは思っているんじゃないのかなと思いますね。」

赤江アナ:まだまだ分からないことが多い化学物質過敏症なのですが、潜在的な患者は全国で70万人にも上るという推計がありまして、多くの患者さんが今のように医師や周囲の人に病気の辛さを理解してもらえないことにまず苦しんでいる。

コメンテーター:これややこしいのは治療する際に使う薬も言い方を変えれば化学物質な訳ですね。その辺の選択も大変難しいところがありまして、だから専門の医者があまり居ないということが現状の大きな問題ですよね。

小木アナ:厚生労働省によりますと頭痛とか皮膚の炎症など、それぞれの症状に対しての治療というのには保険も使えるということなんですが、保険や労災の対象として『化学物質過敏症』という病名がある訳ではない。

相談窓口『化学物質過敏症支援センター
連絡先:TEL045-663-8545

月・水・金(祝日を除く) 朝10時~12時30分/13時30分~16時まで受付


Viewing all articles
Browse latest Browse all 10

Latest Images

Trending Articles





Latest Images